メモログ

トィッターで書くには長くオナニ〇が過ぎる事を書きたいと思っていた。

人の価値

アイコンを変えたが特に意味は無い。このAAはかなり気に入っている。勢いがある。

 

価値の無い人間は居ないという事をよく聞くが、嘘だと思っている。価値の無い人間は沢山居る。

 

お金は社会的に見て絶対的な価値になるが、人の価値というものは相対的なもので、コミュニティの中で変わる。絶対的なものでは無い。

生きているだけで価値のある人間というのは、それまでの人生の中でそうなるだけのプロセスがあったからだ。あるいは、周囲がこれからの期待として捉えている。それそのものが価値あるものではない。

 

例えば、職場で価値のある人間というのは結果、成果をあげる人間の事である。実直に仕事をこなして貢献する事で価値が高まる。

しかし、組織、会社、社会というのは人の集合である。結果がそうしたコミュニティの価値を高めるような貢献に繋がるが、そこに存在する人間にとっての価値とはまた別の話。

人の集合であるコミュニティの中で、価値を高めるにはコミュニケーションを取る事が最も簡単で効果が高い。要はそのコミュニティの中で、この人なら自分にとって”良い人”である、と認識してもらう事。

 

コミュニティは人の集合で成り立ち、そこからアウトプットされる結果で価値が高まるが、そこに集まっている人間同士の中で価値が高まるとは限らない。≒だと思う。

 

また、ある人にとっては価値があっても、別の人にとっては価値の無い場合が多い。というか基本的に人間関係はこのパターンである。相対的。

 

自分とAさん、Bさんが居るとして、Aさんとはよく仕事をし話もし、お互いに価値のある人間同士という認識だが、Bさんとはあまり接点が無くお互いに無価値である。しかし、AさんとBさん同士はコミュニケーションを取り合って、お互いに価値のある人間同士という認識だとしよう。この関係で物事が上手く回っている。

 

その場合、コミュニティとしては結果が出されコミュニティとしては自分の価値が高まっているが、Bさんとはなんの接点も無いので、コミュニティの中での価値は低いままだ。

とは言え、これはただの例えなので、Aさんが居なくなった場合どうなるか、というと普通はどうもならない。居なくなったAさんの代わりを誰かがするか、近い将来自分とBさんに接点ができ、お互いの価値を認識し合うだろう。普通のコミュニティならそうなる。

 

価値の無い人間は居ない、は嘘だと思うが言い換えるなら、価値を認識していない人間同士は沢山いるだろうか。観察すれば価値が生まれる。

 

逆に言えば、このコミュニティの中で結果も出さず、コミュニケーションも取らず、本当にただ居るだけの人間ならば、そこに価値は無い。