メモログ

トィッターで書くには長くオナニ〇が過ぎる事を書きたいと思っていた。

見た目に拘らない

ちょっと前っていうか、随分前から話題になってる人なんだけど、まあ個人的に実は話題の人はあまり好きでなくて。若者をよく理解してる好々爺みたいな位置づけの人ね。

名言製造マシーンかってぐらい良い事言ってる内容のツイートがしょっちゅう流れてきてて、最初はまあ関心してたんだけど、後々正直うぜえなっていう感想しか出てこない。

俺は君たちの事分かってるんだよ、っていう姿勢からのマウントツイートとか結構してるでしょ。知ってる範囲で二回ぐらい同じ内容のツイートで炎上してて、その度に反省してます、成長できたーみたいな謝罪ツイートしてるっていう。

でも同じ事してるんだから成長してないんだよね。要はそういうポーズしておいて好感度下がらないようにしとくかっていう保身にしか感じられなくて。

こういう詐欺の件に関してはちょっと調べたら同じ手口で一回裁判に負けてるんだよね。二回目のこの件に関しては真偽は分からんが。

 

基本的に俺は老人とかは信用してなくて、ていうのも知識や経験とか間違いなく上だんろうけど、凝り固まった精神性持ってる人が多くて、大体マウントしてくるんだよね。

もう知らない事は無いから俺が全部教えてやるよっていう横柄な人間や、老い先短い自分は得るものが無いみたいな。そういう捨て鉢で成長する気の無い人がめちゃくちゃ多いんだよね。

良い事言ってても、大概そういうのは自尊心から来るアドバイスで、目の前の人に大しての親身なアドバイスってのは滅多に無い。まあこれは大体の人間にも言えるんだけどね。俺も含めて。

 

別にこの人の事は見抜いてたぜ、俺ってすげーみたいな話じゃなくて、話題の人は世間的にも社会的にも大成したであろう人なんだろうけど、正直さみしいよなあ。

成功の人生から今この歳になって最後に頼ったものが、こういう自分自身が生み出すコンテンツじゃなく、過去の栄光から得たポジション、コミュニケーションからの見た目や保身に拘ってしまってるっていう、そういう落ちぶれ感というか。

 

まあでも結局人間はそういうものなのかもね。俺も20、30年後どうなってるか分からんしね。さっさと死にたい反面、何か最後まで楽しい事を生み出して死にたいなっていう。