メモログ

トィッターで書くには長くオナニ〇が過ぎる事を書きたいと思っていた。

完璧マン

寒いと思ったらそうでもないし、でも若干まだ寒いが家から出なければそうでもないけど、寒いものは寒い。

 

完璧な人間は居ない、と言いながら他人に完璧な人生を求める人が居る。どういう心理だろう。別に当人が完璧な人生だろうが、自分に不利益が無ければ、野垂れ死のうが何しようがなんでも良くない?良くなくない?

 

例えば自爆テロしようとしてる人が居て、それはもちろんダメだし知り合いなら止めるだろうが、実際それで自分になんの関係も無ければテレビのニュースを見て「大変だなあ」ぐらいで終わる人が殆どだと思う。あるいは、「今日の仕事休みにならないかな」ぐらい。否定したいから極論を述べた。

 

他人の人生に完璧を求めるのは、潔癖症の傾向が強い。

自分の見える範囲の汚いものを排除したい。自分の思った通りの綺麗なものに囲まれていたい。

結果論から正論を述べる事で、相手よりも優位な場所に居たい。相手を正してあげたい。自分は正義であるから、悪を裁くのは気持ちが良い。

自分は常に安全な場所でありたい。それでありながら、自分以外の誰かが汚い事をしてくれて、自分は綺麗な場所から動く事無く綺麗なままのものを眺めていたい。

 

完璧な人間は居ない、といいつつも、完璧なシステムを人に求める。しかし、自分のミスは笑って許して欲しいという願望が強いかもしれない。甘えん坊か?自分はまさしく、自分以外の誰かが上手い事やってくれて、美味しい思いをしたい人種だ。

 

動く事無く万事がベルトコンベアみたいに、オートで進んでくれれば完璧な生活を送れる。早くそういう社会になってくれ。

 

話変わって、SF小説でよくある全てが管理されているユートピア系の世界観の中で、何の疑いも持たず与えられた義務をこなして、不自由の一切無い生活。あれに憧れる。

こういう小説の中で、大概主人公は世界に疑問を持ち「これで本当に良いのか?自由とは?」。それで良いんだそれで。変に動かすな。

しかしキーキャラクターが現れて、主人公に世界の真実を伝える。主人公は世界からの脱出を目指し、初めて目標の為に進んでいく物語。まあそんな小説があるか分からんから、思いついたの適当に書いたんだけど。

 

今でも心は14歳のままの男子諸君は、もしかしたら自由とは何かみたいな命題を持っているかもしれない。

自由とは不自由さに包含された、要はルールの中にあるもので、破る事では無い。

ルールから脱却し、不自由さから開放された時点で、自由と不自由の境界は無く、同一視されてしまう。

不自由さがあるから自由を感じる事ができて、自由な生き方を模索できる。有限の中にあるから、選択する権利と後戻りできないリスクを持つ。リスクがあるから、最善、最適を選ぶ為に考える。

 

話戻って、完璧な人生は無いが、完璧であろうとする意思が不自由なルールの中で自由さを選び、その瞬間にしか得られない最善を探す。

他人に完璧を求めるよりは、もっと自分を見た方が良いと思う。自分の人生は自分だけのものだから、他人の人生なんか気にしてる時間も無いし、そんな余裕も無い。