正しさの視点
最近SNSとかで批判、批評の正義のハンマーでぶっ叩いてる光景を目にするんだけど、とは言ってもまあこの行為自体は昔からある行為で、テレビに向かってブツブツ独り言いってるのと同じで、それがネットで人の目に触れやすくなっただけなんだろうね。
正しさとは一般的な認識で言えば、道徳や倫理だったりつまるところ一般性、言い換えれば客観性があるか?という視点に近いと思うんだけど、どうだろう。
客観性とは多数の主観の集合体であって、これは主観から逸脱はできない証明でもある。個人の視点はどこまで行っても個人でしか無くて、客観性とはそういう個人の視点を幾つも内包する事で認識できるようになる。
正しさとはこの客観性に沿ったもので、批判対象の善し悪しを決める前例と比較して個人が判断しているのでは?という想像。
そこに正しさは本当にあるのか?と思いながら、正しさってなんだろうなあとも思っている。
客観性とは多数の主観の集合体であり、正しさとはその客観性を包含していて、そして正しさとはその時代に沿った倫理観も同じように包含しているように思う。
その時代に沿った倫理観とは、たぶん一般性だと思う。どの時代にも一般人が全ての基準になっている。ちょっと語弊があって、先導者が居て、それに倣う一般人が増えればそれが一般性になるというお話。先導者が大衆を誘導するけど、時代は一般人が築くように感じる。
その一般性が正しさと言えば、時代によってそれは変化していて、つまり正しさとは不変では無いという事になる。
批判対象を正しさと比較した場合、その時代に沿った正しさ、客観性、一般性から判断するのだろうか?
その正しさや客観性や一般性に、本当に正しさあるのか?といつも考える。だからあんまり批判とかできないんだけど。