メモログ

トィッターで書くには長くオナニ〇が過ぎる事を書きたいと思っていた。

伝える事

前に書いた事がある気がする。同じ事を繰り返し言うのは、加齢による健忘かより深く記憶したいか自慢か繰り返し伝えたいからである。

 

思考方法はおそらく人によって異なるとは思うが、記憶方法というか何と結びついて記憶しているかも人によって異なる。

僕は映像での記憶が多い。一度見たものは中々忘れない。しかし文字や匂い、味に関しては中々覚えられない。特に文字、固有名詞に関しては本当に覚えられない。

しかし社会で生きていくには記号と共存するしかない。記号とは文字、あるいた社会での共通認識となる言語といったものになる。

音で記憶する事、理解する事は難しくない。身体的なハンディを持っている人には苦しいかもしれないが、基本的に五感に関係するものは直感的で、人の体感として覚えやすいし経験値として蓄えやすい。

しかし文字、記号といった文化的なものは、そのものの意味を理解し扱わなくてはならない、

扱うというのは、つまり人に伝える事、自分以外の存在に伝える事である。

自分だけが理解し、そこで完結してるのではあれば、そもそも記号を扱う必要は無い。アウトプットするというのは、ほとんど全ての場合は外部への出力によって伝える事を目的としている。

何かを学び、そういった知識を吸収、あるいは記憶の為の反芻の目的で書く、入力する事もあるかもしれない。

 

しかしそれは過程であって結局のところ、覚えてしまえばそれっきりだ。

その知識を外部に出力する為には、記号を扱うしかない。他者に伝える為である。自分の中にある知識、経験をアウトプットする為に記号を覚え、扱う術を身につける。

 

文字、記号といった文化は、伝える事を目的としたツールである。社会に生きる為には、この手法を必ず学ばなくてはいけない。そして伝えるのであれば、自分なりにきちんと理解し、伝える為に誠意を持って取り組むことが大切だと思う。