メモログ

トィッターで書くには長くオナニ〇が過ぎる事を書きたいと思っていた。

好み

毎回日が空く。時間はあるのに使い方がへたくそ。

先日と言ってももう二か月前だがFF14で暁月編という拡張パッチが入り物語に一区切りが付いた。10年の積み重ねを全て回収するストーリーで非常に感動してもう涙ボロボロだった。最高のゲーム体験ができて感謝。

しかしまあ作品なので好みは分かれる。万人に評価されるのは難しい。この作品も同様である。僕にとって最高でも、誰かにとって最低の出来栄えだったりする。

 

好き嫌いがどういった傾向によって決まるのかは中々理解できない。自分の好きと嫌いを言語化して人に伝える事は難しい。何故好きか嫌いかの理由はあれど、そもそも何故好きなのかの由来、出来事まで掘り下げていくのも難しい。

面白かったから好き、良かったは説明できるが、それが何故面白いと感じるのか、面白くろくないと感じるかの説明をできる人は稀なように思う。クオリアみたいなものか?

 

今回のFF14RPGは好きだが、FF14は別に好きではないから微妙だったという意見を聞いて一理あると思った。しかし思い返してみてもしっかりRPGしていたように思う。FF14が嫌いだから面白いと思えなかったのだろうか?良さという聞こえは客観的だが、その言葉の裏にある、感情が優先された評価だったのだろうか。

漆黒編はRPG好きには刺さるが、暁月編はFF14好きに刺さる。一理ある。

しかし漆黒もFF14という舞台が下地にあり、設定も準拠の物語だった。ただし違いは漆黒は新たな世界からのスタートであり、暁月は今までのFF14の総決算という位置づけで、たしかにFF14というそれまでの積み重ねを回収する物語だった。

FF14という要素が評価軸になっている気がする。

 

面白さ、良さという評価は一見客観性を装っているが、結局のところ当人の価値観という主観性に基づいた評価であるように思う。こうした主観的な意見を言語化する事により、言語化できない人々に刺さった場合それが客観性を持ち、大衆の意見になるように思う。

話が飛んでしまったが、繋がりをどう説明しようか難しい。もう終わろう。また考えて言語化の訓練をしたい。